馬鹿話

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ちょっと考える古事記の出発点


ちょっと考える古事記の出発点

古事記上の巻に現われる神は、日本海の出雲地方が出発点となっている。
須佐之男の命が高天の原から追放され出雲の斐伊川の河上の鳥髪山に天降る。ここは砂鉄の産地である。大国主の神はこの須佐之男の命の17世の第6世から生まれたとあり、須佐之男の命が天降てから17代目の子孫とすると相当の年月が経過しているものと思われる。

大陸と日本の交流を漢和辞典で記載されているのを見ると
 
紀元前33年 任那が初めて日本に入貢
西暦57年 倭国王の使いが後漢に来て印綬を受けた
390年  倭が朝鮮を攻め新羅、百済を破った
538年  仏教が百済から日本に伝わる
562年  任那の日本府が滅んだ
587年  蘇我氏が物部氏を滅ぶす
604年  聖徳太子憲法17条を制定
607年  小野妹子が随へ遣随使始る
672年  壬申の乱
701年  大宝律令がなった
712年  古事記を正五位上勲五等太朝臣安萬呂が編纂

 古事記が国本と編纂された直前は政治的に大きな波乱があった時期であり、その中心として聖徳太子の存在が大きかったのではないか。この中でも587年の蘇我氏と物部氏の戦いが大きな戦いであったのではなかろうか?
この戦いによって聖徳太子の政治体制ができあがったと思われる。この問題と古事記の神々が出雲地方に天降り須佐之男の命や大国主の神が活躍した話につながっていくのではなかろうか。
 
ここで、「古代出雲文化について」京都大学名誉教授上田正昭先生の話を引用すると、
”古代の出雲文化は出雲神社を中心に神話の国とイメージされてきた。しかし出雲は単なる神話の国ではなかった。青銅器や古墳の文化においても、抜群の地域であった・・・・と
また、日本列島に居住者した人類は、決して単系の発展課程をたどったのではない。南方系を国神(クニツカミ)、北方系を天神(アマツカミ)と分類して日本神話が形成され、騎馬民族や渡来人が大きな役割をしている・・・・と
 このことは縄文時代の石器時代から弥生時代に移行に移る課程で、砂鉄の生産地である出雲地方が青銅の武器が戦力となり石器を使用する集団を撃破して、各地を統一して行き畿内に勢力を得てったものと思われる。このことが後、大和朝廷の統一国家成立につながった。

 ↑ てつを造るたたら製鉄

そのため、7世紀に入って古事記という国文では出雲地方を国起こしの発祥の地としてとりあげたものと思われる。

参考文献
「古事記」   西村一民 校注 新潮社


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