馬鹿話

サブURL(このURLからもアクセスできます):http://akasaka.areablog.jp/michitaka

黄帝内径素問 序説-1

黄帝内經素門 序説

 

第一節黄帝内経について

 素門 上古天真論篇第一より解精微論篇第八十一に至るまで、凡て八十一篇、計24巻。 霊枢 九鐵十二原第一より懸疽第八十一に至るまで凡て八十一篇、計12巻。 黄帝内経はいつ頃作られたか(藤堂博土の推論による) 時代により文章に特有の形式がある。

秦や漢初の古典は、伝承されたものが多いため、いつとなく、なかば韻文の形式をとるようになったものが多い。周易や老子がそのよい例である。

 

韻とは何か

 簡単に言えば、韻とは、母音のことである。然し漢語は、日本語のようにカ Ka、ブ bu、ト to のような単純な音節からだけで成り立っていない。もちろん、歌(カ) ka、孤(コ) koのような簡単な音節もあるにはあるが、大部分はそうはいかない。

藍−(ラム) lam、蘭−(ラン) lan、郎−(ラング) lang、介(ラフ) laf、辣−(ラツ) lat、落−(ラク)  lak、などは母音の後に更に韻尾のつく形をしている。

連−(レソ)(リエソ) lien、良−(リヤウ)(リヤソグ) liang、官−(クワソ)(クワソ) kuan、光−(クワウ)(クワソグ) kuang の如く母音の前に更に、iやuのような音が介入するものもある。これを介音という。

以上の如く語音の尻に韻尾がつき、母音の前には介音が入りこむ。

日本語には、もちろんこんな音節はない。従って連の場合レンと音訳して済ませ、わざわざリエンとわいわない。然し「良」や「官」の場合には、漢語の介音「iやu」を音訳した。これを拗(ひね)った発音をとりいれて、リヤウ・クワンと発音した。これを拗音という。

然し今日では、だんだんすたれて、忠実に守られているものは少い。これを要するに、字音の中から語頭の子音だけを除いた残り全部、つまり「ア・オ・アン・ワン・アング・ヤング・アプ・アツ・アク」などを韻というのである。

 

切韻

随朝の仁寿元年(六〇一年)陸法言という学者が同志を語らい、中国で初めての「字音による字引き」つまり「韻書」を編集した。これが切韻五巻である。

広韻

切韻はやがて散佚したが、その系統を受けついで増補されたのが広韻で宋の時代に完成している(一〇〇八年)。これが今日残っている。

韻鏡

切韻式のコトバ音の体系を図表にしてみせる音韻図、つまり「韻図」が唐の末頃ボツボツ現われた。

そのうち日本人に親しまれて来たのが、北宋時代に刊行された韻鏡である。

*広韻では、二〇六の韻を設けて、約二万六千の漢字を発音別に分類している。

広韻の体系は、すべての漢語音や日本の漢字音を研究するには基礎的な材料で、これがなくては、一歩も議論を進めることはできないといわれている程語学的にはすばらしい資料である。然し作詩の基準にという実用面から言えば、チト手にあまるということになる。そこで実用的に詩の押韻には、およそのひびきが似ていればよいとされている。

単(タソ) tan と官(クワソ) kuan のように、おもな部分 an のひびきが等しければ押韻すると認められるわけである。

 



goodポイント: 0ポイント

このポストをお気に入りに追加 0人がお気に入り登録中
このポストのURL http://akasaka.areablog.jp/blog/1000056158/p11594092c.html
東洋医学  | コメント( 0 ) | トラックバック( 0)
名前   削除用パス  
コメント
※入力可能文字数は1000文字です

このブログトップページへ
michitakaイメージ
都々逸(どどいつ)は江戸時代の末期に俗曲としてお座敷芸として、三味線を奏でながら唄われてきた。

「都々逸」は、七・七・七・五、調の二十六文字に「男女の恋愛を扱った情歌」として表現することで、いわゆる、艶歌として好まれたものである。

都々逸

馬が前向きゃ 鹿後向いて 行き先迷路 馬鹿政治
前年  2017年 皆勤賞獲得月 翌年
前の年へ 2017年 次の年へ 前の月へ 5月 次の月へ
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
今日 合計
ビュー 71 256331
コメント 0 60
お気に入り 0 3

QRコード [使い方]

このブログに携帯でアクセス!

>>URLをメールで送信<<

お気に入りリスト

おすすめリンク


外苑東クリニック
東京 人間ドック