馬鹿話

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みっちゃんの「ミカンの皮枕」



美味しい蜜柑を沢山食べよう!

ミカンの美味しいシーズンがやってきました。
ミカンを食べた後に残るミカンの皮を捨てないでマクラのパンにしましょう。

ミカン皮枕の作り方

 ミカンを食べた後の皮の内側を取り水洗いした後、ゆっくりと天気干しをしただけの簡単なものです。
材料となるミカンの種類としては、温州ミカン・伊予柑・グレープフルーツ・三宝柑・夏蜜柑・ネーブルオレンジ・八朔等がありますが、いろいろ食べたミカンの皮を混ぜ合わせたほうが結果はよいようです。


みかんの皮を天日干し

ミカンの皮を天気干しにすると、カチカチになり、細かくするために、金槌で叩かなければならないほどの硬度になります。
ミカンの枕刺激がよい
ミカンの皮を、枕のパンにすると、とても気持ちがよいのです。どのように気持ちがよいかといえば、皮が乾燥して固くなったものが、枕袋の下から肌を刺激して、刺激効果が得られます。


癒しの香りがよい

ミカン特有の柑橘系の香りが「癒しの香り」となり、深い睡眠が得られやすくなります。
臭いは嗅覚といって、嗅器によつて感じます。
嗅覚の感度は人間の感覚の中では原始的であるだけにもっとも鋭くできています。
人の嗅覚細胞は100万個あり、ハッカの葉であれば1/500万mgというごく微量の濃度を感受できる能力を持っています。
臭いは、基準となるものが明らかではなく、その分類は、表現が大変難しい、臭いの世界には未知の分野が多く、表現もいろいろです。
最も普通に使われているのは快、不快の分類です。
ツワルデマークの分類によれば
  1,エーテル香
  2,マロマチック香
  3,バルサム香
  4,竜涎香
  5,アリルカコジル香
  6,焦臭
  7カプリル香
  8,不快香
  9,嘔吐香
に分類されます。
臭いに快、不快があるように、身体にも快、不快があります。
人間は心と肉体が一体となっており、心に問題があると身体に変調がでてきます。心の問題は個人の生活意識のなかにあり、その基準は「快・不快の原則」であるようです。
気分のいいときには、神経・ホルモンのような、人間の身体を調整している、信号系が好調に働いており、その作用が臓器に関係して、胃・心臓・血管といった器管がすべて順調に働いていることを意味します。
不快な気分になると、これと、全く反対の現象が誘発されます。
アロマ・テラビー
最近比較的新らしい言葉に「癒し」というのがあります。
現代人はストレスを抱えて生活しています。この、ストレスを解放するために、癒しのセラピが必要となっています。
動的には好きな運動、散歩、森林浴、登山等がありますが、静的には音楽や花の観賞やアロマがあります。
ミカン枕もアロマ効果があります。
ミカンを一冬しっかり食べても枕一つ分がやっとです。
ぜひ試作してみてください。



馬鹿話ではなくマジな話

ミカンの皮マクラは廃物利用で経費がかかりません。
また、マクラを作るのが厭な人は、布袋にいれて頭の付近に置くだけで効果があります。
効果期間は約6ケ月ですが時々天気干しにすると1ケ年は大丈夫です。

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新聞ネタ

 ミカン皮が脳神経守る 脳梗塞治療に期待
2012/9/8  [産経新聞]
松山大学 古川美子教授

 ミカンなどかんきつ類の皮に含まれる有機化合物に、脳の神経細胞を守るタンパク質を増やす働きがあることを松山大薬学部のチームがマウスで突き止めた。脳梗塞で起きる脳神経の機能障害を遅らせる治療薬の開発につながる可能性がある。成果は9月中にも国際学術誌ニューロサイエンス・レターズに掲載される予定という。

 有機化合物はヘプタメトキシフラボン。チームは液状にしてマウスに5日間投与。その後、脳の血管を詰まらせて、脳の断面を分析。すると、記憶をつかさどる海馬で、神経細胞が傷つくのを防ぐタンパク質「脳由来神経栄養因子」が投与しなかったマウスよりも約3・5倍増えていた。チームはこのタンパク質が増えることで脳梗塞後に死滅する細胞が減り、機能が維持されるとみる。ただ、ヘプタメトキシフラボンはミカンの皮の成分の多くて約0・025%と微量で、皮を食べても効用はないという。安全性を確認し、人で有効か検証する方針。

********************************
朝日新聞 DO科学 2012/12-08 要約

ミカンの皮の効能
ミカンの皮の表面にブツブツがあり油胞といい、1mmほどのへこみの中にミカンの良い香りの元となるエッセンシャルオイルがたまっている。
オイルには200近くの成分が含まれており、ほとんどは「リモネン」という物質である。
リモネンの用途はアロマテラビー・洗剤・発砲スチロールを溶かす等の効果がある。



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みちゃんの枕の話 その2

マクラの馬鹿話−その2

*枕という言葉が使われた文章

 枕は文字が存在していない頃から、使用されていたのは間違いないことだと思うが。
西洋の事情は別にして、東洋では紀元前に記された司馬遷の史記に「高枕」=枕を高くす。と記載があり、落ち着いて寝る。安心して寝るという意味で使われ、特に、乱世の弱肉強食時代では夜睡眠する事が大変な事であったことを物語っている。
 
*枕の種類と枕言葉

$ 草枕 (クサマクラ) =草を結んで枕にして寝ること。
♪「朝なけに 見べき君と 頼まれば 思いたちぬる 草枕なり」古今集より

$ 高枕 (タカマクラ) =高い枕。安心してねること。
♪「屋形の内に高枕して、いびきをかきて臥せたりける」太平記より


$ 夢枕 (ユメマクラ) =夢を見た枕べ。夢に神仏などが枕べに現れお告げをする。
♪ 「ありし夜床の夢枕」新千載、恋五より

$ 歌枕 (ウタマクラ) =歌をささえる枕として働きを持つ語。「ひさかた   の・・・」等
   「よろずの草子、夢枕、よく案内を知り見つくして」源氏物語、玉髪より

$ 箱枕 (ハコマクラ) =底部を板で箱の形にに造り、上に括り物をのせたもの。
♪ 「そなたの預けし箱枕」浄瑠璃、曾根崎心中より

$ 陶枕 (トウチン) =陶器や磁器で作った枕。

都々逸
♪ 蛍とび交う 夕映えの床 陶枕ひやり michitaka 雑昨より

$  艶枕 (イロマクラ) =昔の唄に「びんのほつれ」があります。
♪ びんのほつれや 枕のとがが 今日もあなたに うたぐられ・・・」端唄より

$ 一人枕 (ヒトリマクラ) =この種の人々は案外多いようです。(都々逸)
  
都々逸
♪ ひとり枕を 抱いて寝たが 待てぞ来もせぬ 明け鴉 michitaka  雑昨より                                       
 馬鹿話 終章
 枕の使用は人間が快適に生きるための知恵で、特に、人間の人体構造から、医学的に首や肩の凝りが大病の元になるということを知っており。この観点から、少し頭を高くして寝ると有効であることで、いろいろな枕が考案されたものと考えられる。
枕の高さ、堅さ、大きさ等の形状はそれぞれの体型や寝相に合わせて選ぶべきである。
ちなみに、私の枕は変幻自在に高さや形が調整できるように自製している。
「 みかんの皮の枕」につづく


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みっちゃんの枕の話

マクラの話−1

人間が枕を使い始めたのはいつ頃からなのであろうか?
睡眠にかかせない枕についての馬鹿話

ずっと、ずっと、歴史をさかのぼり、数十万年前の猿人は枕を使っていたのであろうかと考えてた。人間と動物は同じほ乳類で括られるが、生態や生活様式には大きな違いがあり、進化の過程で別の道を進んだのではなかろうか。
  猿人の頭蓋骨は後頭部がかなり張り出していて、歩行姿勢は、前屈でなければ歩けなかったと思われる。ネアンデルタール人を経てクロマニヨン人になって頭蓋骨の形や脳容積が現在人とほぼ類似してきたので、この頃には仰向けの姿勢で睡眠したかも知れない。
クロマニヨン人はフランスの洞穴で発見されたが、推定約15000年前で、ほぼ完全に現在人の特徴を備えていた。頭骨は丸く、両眼は上に張り出しはなく、下顎は小さくてオトガイを持っていた。また、脳容積は現在人の97%に達して十分な言葉を発達させ、相互情報交換能力を備えていたと思われる。



この人達の子孫が最初にマクラをつかったのではなかろうか???
その話本当・・・・??

*人間の帰巣本能は
 例えば帰巣本能であるが、動物にはそれぞれ独自の帰巣本能がある、馬や犬は生後すぐ自立して、数ヶ月で食物を自分で食べて成長する。蜂や蟻は生後すぐ活動して自分の巣へ帰る。人間の子供は歩くまでには1年が経過し、自分で食事ができるまでには、2年以上かかる。この、帰巣本能の違いは、進化の課程で、人類が直立したことや脳の発達によるものと考えられる。
それは、知恵の落とし子として、帰巣本能時期を遅らせたのであろう。
 この辺の関係を京都大学名誉教授の会田先生が、人間の赤ちゃんの帰巣本能は、「ニッコリ笑う笑顔であると!」書物に書かれたのを読んだことがある。要約すると人間の赤ちゃんが道に置き去りにされ、返る巣がなかったとした場合、通りがかりの人が、その赤ちゃんを見て、泣く顔のなかにもニッコリする笑顔があり、可愛くなって、巣へ連れれ帰りたくなる。これが、人間の帰巣本能であると言われている。
 帰巣本能は自分を守る、防衛手段であり、どのようにしてたら、外敵に襲撃されても生命活動が維持できるように本能的に働くようになっている。
この帰巣本能と枕におおいに関係があるのではないでしょうか??
そのヒントは人間も猿人以前では腹部を下にして、俯せ状態で寝ていたと推察できることにある。

*動物の寝相
 ほとんどの動物は腹部を下にして眠る。これは、動物の躯のなかで腹部が一番弱く、外敵に襲われた場合でも保護するように庇の姿勢にある。
人間の先祖もそのような形で睡眠していたが、直立歩行になって脳が発達するにつれて、危険予知能力ができたので、徐々に睡眠時の姿勢が変わってきたものである。
人間の幼児は最初頃は、ほとんど俯せに寝るのは、その名残で、本能がそうさせているものと思われる。成人した人でも布団を羽織らないで寝る場合は、ほとんどの人が腹に手を当て、腹部を保護するような姿勢とっている。


*ではなぜ枕を使うようになったのか?
 人類は枕のを使用を始めたのは、相当古い歴史があるのではないかと推察できる。
人間が枕を使用するようになったのは、進化の結果、直立歩行となり、骨格が変化したことと、頭脳が発達して頭部の質量が増加したこと、摂取食物の変化により顎構造が変化したことがあげられる。さらに、俯せ睡眠から、仰向け睡眠に変わったことが複合されて、より、快適な睡眠をするための道具として枕が考案されたものと思われる。
 睡眠姿勢の問題であるが、最近の研究成果でチンパンジの赤ちゃんが仰向け運動ができることが判明したようで、人間以外でこの試みができるのは、新しい発見であるとTVで放映されていた。
*それでは、なぜ、俯せから仰向け姿勢で眠るようになったのであろうか?
  これは、休息と関係していると思われる。生活のために、狩猟や農耕により、肉体が疲労するため、適切な休養が必要となる。疲労の大きな原因は肉体の酸素量が不足することである、すこし、過激な運動をすると、呼吸がゼイゼイとするが、これも、肺臓の酸素欠乏状態を招くからである。肺臓の構造からみて、胸を張る状態が肺活量が最大となるため、俯せ寝は肺を圧迫する姿勢であり、仰向けに寝ると肺臓が開き呼吸が大変安易になり、休息効果が倍加することを気づいたのであろう。(人体の元素組成は酸素量=65%、炭素=18%、水素=10%で肺活量は成人では3000〜4000cc程度である。
  さて、仰向けがよいとなると、困ったことに、人間の骨格が仰向けに寝る構造にできていないことで、顔を上にして寝る姿勢は、頭蓋の形状が後頭部が飛び出た構造となっているため、そのままの状態で寝ると鎖骨、胸骨、肩甲骨、助骨を取り巻いている筋肉である、広頸筋、三角筋、僧帽筋、肩甲筋、項靱帯及び第七頸椎に異常な引っ張り力が生じて、後頭部を直に床につけて寝る姿勢は、
肺の負担が減ずるが、肩こりや首が凝るという問題が発生し、長時間その姿勢を保つことに問題があると気づき、同時解決策として枕が考案されたのである。
それは本当のこと???

*頭蓋骨の構造にも原因が
 人間の頭蓋骨は15種類の骨で構成されている。魚類、両生類、鳥類は20〜30種類からなっている。人間は脳髄が非常に発達しており、脳頭蓋が大変大きい、その大きさを他の動物と比較すると、いま、顔面頭蓋の大きさを100としたとき、脳頭蓋の大きさはどうなるのか、魚17、馬21、猿人類100,人間400と異常に大きくこのため骨の種類が他の動物に比べて少なくなっている。


*下顎骨
 人間の食物の咀嚼は上顎骨と下顎骨との間で行われる。顎の間接はどこに成立するかというといえば、下顎骨と側頭骨との間である。この間接部が蝶番のように左右の支点で動作している。従って頭蓋骨の中ではこの間接部が構造的に一番弱いところとみられ、仰向けに寝るとこの部分に、直立時に掛からなかった力学的負担が増し、肩や首の凝りに原因を誘発する。また、高齢になると、総入れ歯となると、睡眠時には入れ歯を外して睡眠するのが普通であるが、この睡眠方法だと枕の形状を工夫しなければ苦しくなる。
(総入れ歯の人は仰向けに寝ると下顎が上に引っ張られるような、状態になるので、枕は傾斜型が望ましいと思います。)
 



このように、頭蓋骨の構造からみた力学的な作用が、枕が必要な条件を作りだしているのである。
この話は本当???
 
つづく




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古事記「淤能碁呂嶋」と隠岐の後島の関係



「淤能碁呂嶋」と隠岐の後島の関係

古事記巻頭で
 「ここに、天(あま)つ神のもろもろの命もちて、伊耶那岐の命・伊耶那美の命の二柱の神に、「このただよえる国を固め成せ」と詔らし、天の沼矛を賜ひて、言衣(コトヨ)さしたまひき。かれ、二柱の神天の浮橋に立たして、その沼矛を指し下ろして画(カ)かせば、塩こをろこをろに画き鳴らして、引き上げたまう時に、その矛の末より垂(シタタ)り落つる塩の累(カサナ)り積もれる、嶋と成りき。これ淤能碁呂嶋(オノゴロシマ)ぞ。」
その嶋に天降りまして、天の御柱を見立て、八尋殿を見立てたまひき。

現在各地で淤能碁呂嶋だとするのは下記の通り
*沼島 淡路南海島
*友が島の沖の島
*絵島 淡路
*十神山 島根県 安来


私の推測では「淤能碁呂嶋」は隠岐の後島ではないかと思っている。
古事記の巻頭を賑やいでいる神々は出雲地方に集中していることで、出雲は砂鉄の蹈鞴製鉄法の歴史が古く、鉄器による武器・武具の製法が優れていることになり、軍事的に優位に展開でき、渡来人の技術を吸収して徒事としては強力な武具ができ、統一国家形成に役立てたとおもわれる。
古事記が編纂されたのは畿内に統一国家が安定したことであり、古事記の内でも大国の主が譲歩したとされている。
伊耶那岐・伊耶那美が天の御柱を立てたとされる物が隠岐の嶋後嶋にローソク嶋があり、この嶋の巨岩が御柱ではと?
また、瀬戸内を淤能碁呂嶋とすると、伊耶那美の黄泉の国は島根県の比婆山では距離的に説明できかねる部分がある。

伊耶那岐・伊耶那美の天地創世
伊耶那美の黄泉の国
大国主の国造り
須佐男と蛇
ウサギとワニ
アマテラスと天岩戸
これらの物語から推測されるのは淤能碁呂嶋は隠岐の後嶋と考える所以である。

終章

古事記を何度か読んで、巻頭の一番重要な部分の所在が現在でも?マークだそうなので、別の角度から「淤能碁呂嶋」を推理することになった、信憑性は勿論疑問であるが、こんな馬鹿な事を考えるのが性分なのでどうしようもない。

          
参考文献
「古事記」 西村一民 校注 新潮社
「漢和辞典」 





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ちょいと怖い「黄泉の国の話

ちょいと怖い「黄泉の国の話」

古事記には死人の腐乱した残酷な話が挿入されています〜〜

二神がいろいろな神を創ってゆきますが、伊耶那美が火之神を生んだ後亡くなり、比婆山に葬ります。
最愛の妻を死なせた伊耶那岐が黄泉の国へ出迎えにいきます。
***************************
古事記 上の巻き
伊耶那岐、黄泉の国訪問のくだり
 ここに、その妹伊耶那美(イザナミ)の命を相見むとおもほし、黄泉つ国に追いひ往でましき。しかして、殿のさし戸より出で向へたまひし時に、伊耶那岐(イザナギ)の命語らひて詔らししく、
 「愛しきあがなに妹の命。あとなと作れる国、いまだ作り竟へず。
 かれ、還るべし」
 しかして、伊耶那美の命の答へ白ししく、
 「悔しかも、速くは来まさずて。あは黄泉つ戸喫(ヘグイ)しつ。
しかれども、愛しきあがなせの命。入り来ませる事恐し。かれ還らむとおもふを、しまらく黄泉つ神と相論らはむ。あをな視たまひそ」と、かく白して、その殿の内に還り入る間、いと久しくして待ちかねたまひき。
かれ、左の御みづらに刺させるゆつつま櫛の男柱をひとっとりかきて、一つ火燭して入り見たまふ時に、蛆(ウジ)たかれころろきて、頭(カシラ)には大雷(オオイカズチ)居り、胸には火(ホ)の雷(イカズチ)居り、腹には黒雷(クロイカヅチ)居り陰(ホト)には析雷(サクイカヅチ)居り、左の手には若雷(ワカイカヅチ)居り、右の手には土雷(ツチイカヅチ)居り、左の足には鳴雷(ナルイカヅチ)居り、右の足には伏雷(フスイカヅチ)居り、井せて八くさの雷神成り居りき。
ここに、伊耶那岐の命見畏みて逃げ還ります時に、その妹伊耶那美の命
  「あに辱見せつ」
と言ひて、すなはち予母都志許売(ヨモシコメ)を遣はして追はしめき。しかして、
黄泉の国
伊耶那岐の命、黒みかづらを取りて投げ棄つるすなはち蒲(エビカズラ)の子生りき。
これを拾い食う間に逃げ行す。

古事記に人の死を取り上げ、黄泉の国の死者の腐乱状態をなぜ描写したのであろうか、人の死と直面し死者のあり得ない姿を通してあきらめを〜〜
*************************
参考文献
「古事記」   西村一民 校注 新潮社



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都々逸(どどいつ)は江戸時代の末期に俗曲としてお座敷芸として、三味線を奏でながら唄われてきた。

「都々逸」は、七・七・七・五、調の二十六文字に「男女の恋愛を扱った情歌」として表現することで、いわゆる、艶歌として好まれたものである。

都々逸

馬が前向きゃ 鹿後向いて 行き先迷路 馬鹿政治
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