馬鹿話

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ちょっとおかしな古事記の話



 和歌山の無人島で釣人が猪に襲われたという話をTVで放送していたことがあった、この島は無人で且つ猪が棲息する環境でないとのことで、釣人の一人は牙にさかれて重傷、一人は海に落ちて難を逃れて命に別状がなかったとのことであった。

 
それでは猪はどこからきたのでしょうか?
釣人の話では猪は海を泳いで渡ってきたと証言しているが。猪が海をを泳いでエ・エ・エ・エ・エ・・・
この話を聞いて前から関心のあったことを思い浮かべた。
それは昔し話にある「大国主と白兎」の話です。
この話のもとは「古事記」からきたものなのだが、稲羽の白兎が鰐に皮をむかれる物語である。

古事記では
**この物語の主
大国主の神(オオクニノミコトト)の名義は「偉大なる国土の主人」と呼び、須佐之男の命の子孫十七世神の第六世。天乃冬衣神(アマノフユキヌノミコト)と刺国若比売(サシクニヒメ)との間に生まれた神である。
大国主の神と兄弟八十神(ヤソカミ=多くの兄弟神)と稲羽の八上比売(ヤカヒメ)に求婚しょうと皆でかけた。

その部分を古事記上の巻を引用しますと
 
ここに、気多の前に至りし時に、裸(アカハダ)の菟伏せり。しかして、八十神(ヤソカミ)、その菟に謂(イ)ひて云(ノ)らしく、
 「なれせむは、この海塩(ウシオ)を浴(ア)み、風の吹くに当たり、高き山の尾の上に伏せれ」
かれ、その菟、八十神の教えのまにまに伏しき。しかして、その塩の乾くまにまに、その身の皮ことごと風に吹き折(サ)かえき。
かれ、痛み苦しみ泣きふせれば、いやはてにきませる大穴牟遅の神(オオアナムジノミコト=大国主の神の別名)、その菟 を見て言ししく、
 「何のゆえにか、なが泣き伏せる」
菟の答へ言(マオ)ししく
 「あれ、隠岐の島にありて、ここに渡らむとすれども、渡らむ因(ヨシ)なかりゆえに、海の鰐をあざむいて言ひつらく、『あとなと競(キホ)ひて、族(ウガラ)の多き少なきを計(カゾ)へむ。
かれ、なはその族ありのままに、ことごと牽来(イキ)て、この島より気多の前まで、みな列み伏し渡れ。
しかして、あれその上を踏み、走りつつ読み渡らむ、ここに、わが族と、いづれか多きを知らむ』と、かく言しかば、欺かえて列み伏せりし時に、あれはその上を踏み、読み渡り来、今地に下りむとせし時に、あが云ひつらく『なはあに欺かえぬ』と言ひ意ふるすなわち、いや端に伏せる鰐、あお捕らへ、ことごとあが衣服を剥ぎき。
これによりて泣き患へしかば、先に行きし八十神の命もちて、『海塩を浴み、風に当たりて伏せれ』
と誨へ告らしき。
かれ、教へのごとくせしかば、あが身ことごとく傷はえぬ」
ここに、大穴牟遅の神、その菟に教へ告らししく、
 「今、すみやかにこの水門に往き、水もちてなが身を洗ふすなはち、その水門の蒲黄(カマノハナ)を取り、敷き散らして、その上に輾転(コイマロ)ばば、なが身、本の膚のごと必ず差(イ)えむ」
かれ、教へのごとくせしかば、その身本のごとし。これ稲羽の素菟(シロウサギ)ぞ。今者に菟神といふ。かれ、その菟、大穴牟遅の神の神に白ししく、
この八十神は必ず八上比売を得じ、袋を負せども、いまし命。獲たまはむ」
ここに、八上比売、八十神に答へて。
 「あは、いましたちの言を聞かじ。大穴牟遅の神に嫁(ア)はむ」と言ひき。」


《注》
蒲黄=蒲(ガマ)科 の多年草で、水中水辺に生える。その花粉(雄花)が黄色なので「蒲黄」と書き、それは止血剤として用いた。大王は医薬の知識を必要とした。
 
以上が古事記上の巻に記載されている「大国主の神と菟」の話である。
古事記が編纂されたのは7世紀であるが、その元となる説話は古くから語り継がれたたものが多いと考えられる。古代人はなぜ動物が海を渡ることを発想したのであろうか、現実に20世紀の後半に猪が海を泳いで渡ったという目撃者がいる。古代の人もこのように動物が海を渡る様を見たのであろうか?
空想的な話であっても、どこかにその根拠となる話の種になるものはなければならない。

参考文献
「古事記」   西村一民 校注 新潮社
 



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「都々逸」は、七・七・七・五、調の二十六文字に「男女の恋愛を扱った情歌」として表現することで、いわゆる、艶歌として好まれたものである。

都々逸

馬が前向きゃ 鹿後向いて 行き先迷路 馬鹿政治
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