馬鹿話

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漢字の都々逸「田舎」

<!--?xml:namespace prefix = "o" ns = "urn:schemas-microsoft-com:office:office" /-->♪ 田畑化けた どうして化けた 住宅宅地に みな化けた

 

♪ 田舎の匂い 忘れはせぬが 姉さんかぶりも 懐かしい

 

田の字は「デン=@田畑A土の総称B狩りCたがやすD水田」

田地、田作、田舎、田園、田畑、苅田、水田、青田、油田、泥田、稲田、桑田 など

田の字は稲田=稲穂=米が連想される。
我が国は古代から稲田経済が主流で江戸末期まで年貢と報酬が米で決済されていた。
歴史的には農家は革新では
日本の歴史は鎌倉時代以降、武家と農民戦いであった。
 武士と武士が戦う国取りは、農民の取り合いであり、この現象を深く考えると、武士と農民の戦いである。形の上では支配者と被支配者ではあるが、農民はすべて時の権力者に抵抗して、自分の身を守ることを繰り返してきた。
 江戸時代に入り商人という別働隊が勢力を延ばしてきたが、農民は貧困のなかでの生活を余儀なくされた。
 江戸時代には農民一揆が各地に起こり、権力者に反抗している。
一揆という言葉は中国から入ってきたようで、<揆(ミチ)をひとつにする>と意味であるようで。日本では平安時代に<かれこれ一揆><古今一揆>などがあり意味は、<一致する><一味同心>であった。

農業人口は年々減少の傾向にあるが、土地を持って兼業農業している人は沢山いる。
 農家人口の推移
1960年    3441万人 
2011     1334     
注=農家とは10アール以上の農地、または、15万円/月以上の農業収入のあるもの。

食料品の自給率は 小麦=10%、とうもろこし=0%、大豆=7%、いも類=70%、肉類=50%、米=94%


***********************
田=この字の古形は図に示す如く、大体に四角形の土地で周囲に畔や溝なづが作られていたものと思われる。
 夏・股・周の時代には、井田制という制度があって、丁年に達した有妻の男子に平等に耕地を使用させた。其の法は図に示す如く、九〇〇畝の土地の井型に畔をつくって之を九等分し、其の一つを一人に割りあて、八人がそれぞれ一〇〇畝づつを自家用として耕作し、中央の一〇〇畝はその八人が共同耕作してその収穫を政府に納めたのである。周囲の自家用の耕地を私田といい、中央を公田と呼んだ。このような井田の制度がその通り確実に実施されたかどうかということについては、いろいろ疑問もあるのではあるが、然し、とにかく氏族の内部において、夫々の成員に土地が割り当てられて耕作させられていたということには誤りはないようである。
 次に農法であるが、原野や山林を焼きはらって、そこにアワ・ヒエ・大豆・麦などまきつけるという、所謂原始的な農法が行われたものであろう。



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都々逸(どどいつ)は江戸時代の末期に俗曲としてお座敷芸として、三味線を奏でながら唄われてきた。

「都々逸」は、七・七・七・五、調の二十六文字に「男女の恋愛を扱った情歌」として表現することで、いわゆる、艶歌として好まれたものである。

都々逸

馬が前向きゃ 鹿後向いて 行き先迷路 馬鹿政治
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